とてもありがたいことに、「このサイトを見て豊能地方への移住を考えている」というご意見をいくつか頂いていまして、せっかくなので実際に私自身がここに住むようになったことをモデルケースとして紹介したいと思います。
住む場所の事情やこだわりは人それぞれですから、ここに書かれてあることがぴったり一致することは無いと思いますが、あくまでモデルケースとして部分的にでも参考いただければ幸いです。
豊能に住んでよかったと一番強く感じることは、毎朝空気がうまいこと
いきなり本題に入りますが、いきなり頭悪そうな感想から始まりました。
空気うまいて。
まるで「オレ映画詳しいから」って自慢しまくる彼氏がどんな映画勧めるのか楽しみにしていたら初デートが「天と地と」だったくらいのガッカリ具合ですね!上映後、「すごいよな!これカナダで撮影したんやって!」と興奮する彼氏を前にして、「正直それのどこがすごいのかわからない」と言い残して帰っていった彼女を見送る彼氏は、こう思いました。
「確かに……」
いやいや、天と地とってそんな悪い映画じゃないと思うんですけど……。
なぜか筆者の高校時代の傷口に塩をすり込まれてるような気がして辛くなってきたので、この話題はここまでにします。
空気の話です。話題をもどして続けます。
住む場所を決めるっていう、人生で最も大きな買い物をして人生を送る場所を選ぶというとても重要なライフイベントに関わることなのに、いきなり“空気がうまい”を一番にぶっこんでくるこの筆者。この先、読み進めても大丈夫なんでしょうか。大丈夫です。あなたが空気のうまさについて価値をまだ知らないことは、悪いことではないのです。
想像してみてください。
あなたは忙しい仕事の合間を縫って、2ヶ月前からちょっとしたドライブの計画をたてていました。
そのドライブのちょうど前日、金曜日に急な仕事が入ってしまい計画を諦めかけてたのですが同僚の献身的な協力や客先の理解もあって奇跡的にその日のうちに仕事を片付けることができ、今日はいよいよ待ちに待ったドライブを計画通り出発することができました。
天気は良好。朝早くから出発し、都市部でつかまったちょっとした渋滞を通過し、道は郊外に出て快走すること約2時間。
無事に目的地に到着しました。駐車場を出てすぐにあるみやげもの売り場をあとにして通り抜け、展望台まで早足で向かいます。はやる気持ちをおさえつつも、階段を登る足がいつのまにか駆け足近くまで速度が上がったと気づいたとき、ちょうど展望台を登りきり、いきなりあなたの視界がひらけます。
見渡す限り眼下に広がる山の稜線。ここに来るために2ヶ月も調整して仕事を頑張ってきました。足元から上は全てが宇宙までつながっている空のみ。肩をすり抜ける高原の風を感じながら、車の運転で少し疲れた体をいたわるように、そこで思いっきり息を吸い込み、こう言います。
「ああ、空気がうまい!」
このときのうまさの空気が毎朝得られるわけです。もう一度いいます。毎朝です。
少しだけ話題がそれますが、数年前、冷蔵庫を買い替えたんです。
その冷蔵庫には氷を自動でつくる機能が備わっていて、給水タンクに水さえ入れておけば何時間か後には製氷室に氷が貯まっているんです。
日本の夏くらいの暑さの場所で、常に氷が手に入る。これってたった何十年か前だったら王族でもない限り体験できないような贅沢な機能ですよね。
なのに、「ああ、自分はついに自動で氷を作る機能が備わった冷蔵庫を手に入れた。これは王族のような贅沢さを手に入れたも同然だ。がっはっは。わたしはこれから王族のごとき贅沢な暮らしを手に入れ幸せになりましたとさ、ちゃんちゃん」とはならないんですよね。
最初のうちは物珍しさもあって嬉しかったんですが、数カ月もすれば欲しくもないときにも出来てる氷を冷やすために電気を常に使い、給水タンクに定期的に発生するカビをつまようじでつつきながら掃除する面倒くさいメンテナンスを欠かせないことに不満すら感じるようになりました。人間ってのは、機能やモノを手に入れた瞬間は快楽物質が流れるようにできてるんだけど、残念なことにそれは持続しないんですね。
私の仕事は、あとでも詳しく紹介しますが日進月歩で進化するインターネットにおいて、常に便利さや目新しさを生み出すことを要求されるプログラマー兼クリエイターです。
だからわかるんですが、便利さというものは人を幸せにするとは限らないんです。
特にインターネットのビジネスの世界では、便利さは人を依存させたり支配したりするために使われます。この仕組みがわかってくると、インターネットの世界だけに限らず日常生活で手に入る売ってるものほとんどすべてに当てはまることにも気づいてきたりもします。
話が膨らみすぎましたので戻しますが、モノや機能に価値を見出すより、コト──この場合は“空気がうまい”ですね──に価値を求めましょうという流れは最近のトレンドですが、じゃあ「それはわかったけどよくタワーマンションなんかで景色のよさを売ってるけど景色は3日で飽きるというよ、空気がうまいのも飽きが来るんじゃないの?それこそ冷蔵庫の製氷機能のように」という意見もあるかもしれません。
まず第1に、私はタワーマンションに住んだことがないのでタワマンの景色が飽きるかどうかはわかりません。
第2に、空気がうまいのもいずれ飽きるかどうかに関しては、今は飽きてないけどそのうち飽きるかどうかはわかりません、飽きないかもしれません。
しかしながら、これだけははっきりと言えます。
「毎朝、空気がうまいと思えることは、とても豊かなことだ」と。
赤ちゃんが生まれてウキウキルンルンな日々だとしても、親の看病で疲れてもう何年も鬱々とした気持ちが続いてたとしても、仕事の進捗が芳しくなく責任を感じてるときも、とりあえず空気はうまいのです。うまいと感じることができるのです。
自分の人生のなかで、たぶんこれからも自分の力だけではコントロールできない嬉しいことや嫌なことがたくさんでてくると思います。そんなとき、どんなときでも空気がうまいと感じられる場所に住むということは、人生で得た大切なものにカウントすることはできるのではないでしょうか。
これが私が豊能で感じた一番のメリットとして紹介したい「空気がうまい」ということです。
その他の特徴をざっくりと
「空気がうまいのはわかったけど、たったそれだけを伝えるために便利さをDISりまくったよね。それはもう便利さ憎しといわんばかりに。それって豊能地方は不便ってことの裏返しなのではないかな?」
と思われる方もいると思います。なかなか鋭いです。便利さに順番を付けていけば確かに人によってはこのへんの地方は不便な部類に入るのかもしれません。ただ、私のモデルケースでは仕事と生活に困らない程度には便利なところなので、そこらへんについてもざっくりと紹介しておきます。
まず、ギリで生活圏内に梅田が入ること。
人によっては、この距離で梅田が生活圏は無いわーという人もいるでしょうが、そこらへんはもう人それぞれですから。
実際に、580円くらいを手に握って、梅田の阪急の、床つるつるのホームから電車に飛び乗ったらちょうど1時間後にここに到着するんです。
この距離をどう見るかは人によって違いますが、実際にここに住んでる方たちは通勤にも買い物にも頻繁に梅田に出ています。
このことはけっこう重要で、ただ「空気がうまい」だけなら、西日本では大阪中心地や政令地方都市以外はほとんど田舎なのでつまりほとんどどこでも空気はうまいわけで別に豊能地方に限定しなくてもよいことになります。
梅田が通勤や買物の圏内に入る、という条件があってこそ、この地方は活きてきます。ただ単に便利さを否定だけして無理やり不便さを強いるわけではなく、便利な地域であるからこそ豊かさを感じることができるのです。
ここで私の仕事について触れておきますが、私はWEBサイト制作をおこなうフリーランスです。ざっくり言うと頼まれて人のホームページを作る自営業者です。ハイパーメディアクリエイなんちゃらとか言っちゃえる系のカッコイイ職業です。
主な取引先は大手広告代理店などで、よくテレビCMで「続きはウェブで!」「なになにで検索!」みたいなのがありますが、あの続きのウェブ部分を作ったりしています。
なので日常的に梅田まで打ち合わせに出られることは必要条件で、場合によってはただちに東京へ出張にもいきますので新幹線にもアクセスがいいとなお良しです。豊能から新大阪までは梅田を経由しなくても箕面がわからアプローチできますので、この条件もクリアしています。結果的に私の仕事をする場所として好条件で当てはまるのが豊能町でした。
子供が産まれるまでは、夫婦ともにそれこそ寝ているときとトイレに行っているとき以外、意識のある間じゅうはとにかくほとんど働いていましたが、そういう働き方にも疲れてきていて、子供が産まれたことをきっかけに徐々に仕事のやり方を変えてきたので、ただ高機能で便利な場所に住むことよりも豊かに暮らすことに重点を置きはじめたことも、豊能町移住のきっかけになりました。
レクリエーション充実
このサイトでもたびたび紹介していますのでご存知だと思いますが、山や川遊びには欠かしません。住んでるところが山そのものなので。
幼稚園の送り迎えの前にちょっと山あるき、歩いて5分で渓流遊び、日用品の買い物はダム湖畔ドライブコース、仕事の合間のジョギングは野生の鹿と並走。コーヒータイムが大自然というふうに、日常生活にアクティビティが溢れています。
海に遊びに行くには日本海が便利です。行きも帰りも一切渋滞することなく舞鶴や京丹後まであっという間。とにかく遊びが身近になりました。
実は神戸や京都にも近いのです。どちらも車で1時間くらいで到着します。住んでるところから一瞬で観光地。思い立ったら六甲山にも嵐山にもいけます。
地縁があった
結局はこれに尽きるのですが、もともと妻の出身地が豊能町でしたので、妻の実家が近くにあります。妻にとってはUターン移住ですね。
私自身にとってはIターンというよりJターンと呼ぶそうですが、違いはもともと生まれ育ちが都会の人が田舎に移住するのがIターンで、田舎出身の人が都会で働いて違う田舎に移住するのがJターンらしいです。細かい違いですが私は都会っ子とはとてもかけ離れてるのでJターンですね。
では、私自身の田舎に戻るのではなくて、なぜ豊能のほうを選んだのでしょうか。これはモデルケースとして参考になる方も多そうです。
ほとんどの方に自分の出身地があるなかで、そこではなく豊能を選ぶときの理由。
やさしいおじいちゃんやおばあちゃん、いざというとき頼れる親戚たち、子供の頃から一緒だった友達、初恋のあのひと、そういった人たちが暮らす故郷を離れてまで、違う土地に住むというのは、どういうことなのでしょうか。
延々と遠くに続く田んぼのあぜ道。
その奥の方にぽつんと建ってる一軒家。
そんな田舎の原風景に触れるたびに、わたしは遠い少年だったときの記憶が呼び起こされます。
――このあぜ道をまっすぐ進んだあそこに見える家が、初恋の相手の住んでる家。
それはなぜか、犬の散歩を繰り返しているうちにいつのまにか意識するようになった、恋心といえるのかどうかさえわからないような感情の記憶です。
「柴犬?」
日没を知らせるサイレンが鳴り、田んぼのカエルが一斉に鳴き始めた頃、不意に声をかけられて振り向いた先にいたのは、他でもない初恋の相手でした。
「堀江さん?」
「家、そこだから。かわいいね、柴犬?」
質問をくりかえした堀江さんの傍らにも大きな犬を連れていて、今まさに家をでたところのようでした。
「ああ……うん……ゴローっていうが。堀江さんも犬飼っとるがやなあ」
「そう、今から散歩にいくところ」
「ああ……そう……」
不意に出会った堀江さんに、ぼくはドギマギしました。堀江さんはフチの細い眼鏡をかけ、髪をひとくくりに頭頂部で結んでいるのは学校でいつもあうときと同じでしたが、Tシャツにジャージという私服姿に、ぼくはものすごく緊張しました。
「こんな遠くまで散歩にくるのね。毎日?」
「ああ、ゴローは成犬やけんな。1回の散歩で5キロは歩かせんと満足せんがてや。その犬もがいに大きいな」
「うん、土佐犬。ヂェーンっていうの」
「ジェーン?」
「チに濁点でヂェーン。細かいけど」
「はは……そうなが」
たくましい土佐犬の垂れた頬と対比して、そのとなりにたたずむ堀江さんの、透き通るように白くて弾けるようなみずみずしさをもつ頬に、ぼくは魅入っていました。
「――――よね……。――だし」
「えっ?」
カエルの声が大きすぎたのか、堀江さんがなんて言ったのか聞き取れませんでした。
そういえばセミの声がうるさいことをセミしぐれと呼ぶよな……カエルの声がうるさいのはカエルしぐれと読んでいいのだろうか……。いや、まて、牛肉のしぐれ煮は別にうるさくないぞ……。
「だから、――――。――――で」
まずい、また聞き取れなかった。えっと……。
突然。
それは突然でした。
突然、カエルの声が泣き止んであたりが静かになります。
気がつけば日没をとうに過ぎあたりは真っ暗。
不意に静寂と闇に包まれてしまった……。
まずい……。何か喋って場を繋がないと……。何か……。
刹那。
「あっ!」
「あっ!」
思うが早いか、足元にいるあいつがうごきました。
「あっ!ゴロー!」
二人がみたものは、ヂェーンに後ろから乗っかかり激しく腰を振るゴローの姿でした!
リズミカルな吐息とともに一心不乱に腰を振るゴロー。
「はっはっはっはっ」
「はっはっはっはっ」
ゴローの腰のリズムにあわせてぷるんぷるんと揺れるヂェーンの垂れた頬。
「あわわわわわ……!ゴローが交尾しよる!」
純朴な少年の初恋はどうなってしまうのか!?
次回、堀江さんが口にした衝撃の新事実「まって!ヂェーンはオスよ!」の巻をお楽しみに!
で、えっと、何の話をしてましたっけ?
あ、そうそう、なんで豊能にしたかですね。
それは、私の故郷は四国にあるので、遠すぎて最初から候補に入れてなかったってだけのことです。
正直、タワレコなくても生きていけるってことに気づいたよね
ネットが発達して田舎でも全然我慢することなく便利な生活をすることはできるのに、なんで都会から離れられないと思っていたのか、また離れられたのか、について書いてみたいと思います。
国土の60%以上が森林である日本で、土地の値段が高騰していたバブル期でさえ土地は余っていたのに人口減少をむかえるこれから先、土地は必ず「お金を払ってでも欲しい土地」と「お金を支払ってでも手放したい土地」に二極化すると思います。
見渡す限りモノがたくさんあり、建物がたくさんあり、人がたくさんいる都会。そんなものに価値があったのはバブルまでのはずです。なぜなら、それらは全部他人のものだからです。
私は、もともと田舎出身だったこともあり、人やモノや建物が大量にある、いわゆる“都会的豊かさ”に常にあこがれ続けてきました。でもそれは間違いでした。大量にあるのは、全部他人のもので、私はそれらに囲まれて豊かに感じるどころか窮屈な思いをしていたのです。最初にあこがれがあっただけにそのことに気づくまでとても時間がかかりました。
田舎でももちろん、自分の物以外は他人の物なのは都会と変わらないのですが田舎では密度が薄いのです。窮屈な思いはしなくてすむほどに。
沢山ある他人のものに囲まれて都会で窮屈な思いをするのは価値のあることだと言えるでしょうか。
本当はそんなものに価値はないと思ってしまったほうが楽なのに、そう思うことに勇気がいるのは、なぜでしょう。
出来ることなら田舎で他人にあまり干渉されずにゆっくり暮らすほうが幸せだと気づいているのに、なぜ田舎の土地のほうが価値が低くて都会のほうが価値がつり上がっているままなのでしょうか。
そういうふうに考えを紐解いていったときに、気づいたんです。
「あ、おれいま別に近くにタワレコなくても生きていけるなあ」と。
高度にネットが発達した今の時代、音楽や映画はiTunesStoreやAmazonPrimeで買ったりレンタルできますし、私は小説が大好きでよく読むのですが電子書籍の小説の蔵書はKindleだけですでに300冊を超えます。
ゲームもPCゲーム、PS4、Nintendo Switchをよく遊びますが全てダウンロード販売で買うので発売日には遊べますし、物が多いという都会の機能は完全に必要なくなりました。
そのほかの欲しいものもだいたいAmazonで買うので注文して翌日には手に入れていますし、特に何を我慢することなく都会から移住することができました。
いや、むしろ我慢していたのは都会に暮らしていたときのほうだったのです。
何かを捨ててまで飛び込まなくても暮らせる田舎
わたしが感じる、豊能での暮らしを一言でまとめるとこの言葉に尽きると思います。
「何かを捨ててまで飛び込まなくても暮らせる田舎」
一方的にプラスされたので、豊かになったと感じるのは当たり前でしょう。
いいことばかり書いていますが、あくまでそう感じた私のモデルケースを語ってるにすぎないので、移住するにあたって感じた気をつけるべき点も少しだけ書いておきます。
どれも解決に向けていろんな方が取り組まれていることと思いますので、それぞれ必死に取り組んでいる方がたに対して一方的に「これがあかんねん!」と言いたいわけではありません。あくまでも現時点で都会に住んでいる人が移住を考えたときに当たり前だと思っていて見落としやすい箇所を列挙しています。各々で対策を講じていなかったらあとになって困る可能性がある、というところを移住を考えている人に向けて注意してほしいという意図で、挙げています。
良くも悪くも車社会です。車がないと何かと不便。うちは能勢電鉄沿線、阪急沿線あたりが生活圏に入ってはいるものの、たとえば切迫早産気味の妊娠検診などなど、ちょっと歯車が狂ったときに公共の交通機関利用だけだと困る場合があります。
都会ほど生活の多様化に対応できるほど公共サービスのキャパシティは高くないです。例えば共働きで子供を幼稚園や保育園に入れている場合、延長保育の時間帯などはチェックしてください。具体的には毎日17時に必ず迎えに来られないと、困る場合があります。
高齢化が懸念されています。日本全国どこもそうですが、この地方は2035年頃、限界集落をむかえることが予想されています。特に新興住宅地の限界集落化は人類史上どこも経験がないので、どういったデメリットが発生するのかすら予想が立てにくく、対策が後手に回る可能性もあります。
特に高齢化については、このサイトを立ち上げたきっかけでもあります。
高齢化問題とは、わたしたち自身が年をとるということです。
私個人は一介のウェブクリエイターにすぎないので、政治家に働きかけて町に道路をひくこともできなければ実業家に働きかけて町に工場を誘致することもできません。
できることはウェブサイトを作ることだけです。
自分と子供が将来困ることがわかってるのに、手をこまねいているだけなのも嫌なので、自分にできることだけでもしようと立ち上げたのがこのサイトです。
人間には、いきなりすごいことをやり遂げる能力はないですが、できることをこつこつと積み上げていって、結果すごいことを生み出す能力は備わっているそうです。
ならば私がこつこつと積み上げていける出来ることとは、仕事や生活の空き時間にこのウェブサイトを作り続けていくことです。ちょっとづつ積み上げていって、いつか困ったことが起きそうなときに防げる壁になれるように。
今後、というか後日に記事を改めて紹介しますが、今わたしはVRの研究開発を行っていて、この町でVR(バーチャルリアリティ)を発展させていきたいです。
これだけ便利な世の中で、足りていない必要なものがただひとつあります。それは自分が今以上に面白いと思える仕事です。
誰もが生きていくだけでも精一杯のなかで、何と贅沢なと思うでしょうか。精一杯取り組まないといけないからこそ、やりがいのある仕事を作り出していきたいのです。
今後日本中でどうせ土地が余ってくるなかで、値段が釣り上げられてて高いままの都会に我慢して住むのもいいですが、のびのび広々ゆったりとした中で最新技術をつかった面白いことを作り上げていくような、そんな暮らしをしていきたいと思いここに移住を決めました。
技術やスキルは問いません。面白いと思ったらそんな仲間が町の内外から集まってくることを、このサイトを通じて願ってやみません。
私は本当は、最初は怖かったのです。都会の便利さをあきらめることに。
ところが実際に移住してみてわかったことは、本当は我慢していたことと本当に豊かだと感じるものは別だったということでした。
ながながと綴った、私のこの体験談の一部でも、どこかの誰かの住むところの、何かの参考になれば幸いです。