避難訓練、つなぐし運ぶよアートトレイン

by 正宗3

関西北摂地域大芸術祭のせでんアートライン2019 避難訓練、全てのプログラムが無事終了しました。今回は私の住んでいる地域でもいろいろな芸術作品の制作プロジェクトや展示が行われていたため、ワタクシ正宗3個人としてもいろいろな形でこのアートラインに関わることが出来ました。住宅街という日常に紛れ込む芸術という名の非日常、住環境と催し物、暮らしや継承、いちアートイベントの枠を越えて個人的に短期間にさまざまな体験を積むことが出来て、とても満足しております。この記事は、そんなアートラインへのありがとうの言葉です。

立ち位置がよかった

スタッフとして名前も連ねさせてもらった

私まず、地域住民として自治会で募集されたプロジェクトボランティアとして参加させてもらえました。

このふたつは特に自治会の回覧板でも参加を呼びかけていたので積極的に参加しまして、他にもいつものジョギングコースに壁画が描かれていたり、あとでも詳しく書きますが自分が運営してる動画配信にアーティストがゲストで登場して頂いたり、毎日通る保育園送り迎えのルートに作品が展示してあったりと、とにかく住んでる者として会期中は常にアートとともに生活をしている状態でした。これがとても楽しかったです。

それと、私の場合さらに地域コーディネーターとして周辺の飲食店を取材してまわったり、勤めている会社でインフォメーション業務を行ったりと、それはもういろいろと、いろんな角度から関わらせていただいたのです。アートラインをこんなに多角的に楽しんだのって、私くらいなんちゃうかな、っていうくらいそれはもうたっぷりといろんな角度で参加することが出来ました。

「じゃあお前は中の人間(運営側)じゃん。中の人間が褒めまくっても信憑性ないよ」という意見もあるかもしれません。そう考えるのも間違いではないと思います。しかしながら、私の立ち位置は私のものであり、私が私の立ち位置から意見を述べることもまた間違いではないはずです。これだけ自由な立ち位置で参加させてもらえたからこそ、見えてくるものもありますし私の立ち位置でしかしゃべれない意見もあるはずです。

このメディアはあくまでも関西北摂、豊能地方での暮らしに焦点を当てた記事を取り上げるメディアです。ですから、この記事でもこの場所で暮らしている住人として書いています。自分が暮らしてる場所で芸術祭が行われてそれにがっつり参加してみてどうよかったか、暮らしてる人間の目線で紹介していきます。

意外と多いこだわりお店

芸術を楽しむにはコツがある

芸術を楽しむにはコツが必要です。これは良くも悪くも考えることが出来て、悪い方に考えると、「コツがわからないと芸術は楽しめない」ってことになっちゃいます。これは残念ながら多くの人に当てはまると思います。事実、「芸術祭やってるって聞いて見にいったけど、正直よくわからなかった」という声は少なからず耳にします。
ですが、考え方を変えると「楽しめないのはコツがわからないだけ」とも「コツさえつかめば誰でも芸術は楽しめる」とも言えます。これはいいことです。

世の中には例外がいくらでもありますので、生まれつきコツをつかんでる人、自分でも知らないうちにコツをつかんでる人、またはコツなんかつかまなくても芸術を楽しめてる人、なんていう人も一定数存在します。そういう人はもしかしたら「コツなんてつかまなくても芸術は楽しめる」と言うかも知れません。でもそれはその人個人の主観です。その人がコツをつかまなくても芸術を楽しめると思ったからといって、あなたが芸術を楽しめない理由にはなりません。

芸術を楽しめないのはコツをつかんでないから、コツをつかまなくても芸術を楽しめる人もいる、でも楽しめない人はコツさえつかめば芸術を楽しめる、で良いんです。

ちなみに、芸術をイマイチ楽しめないもう一つの理由に、「その芸術作品の品質が自分の価値基準に満たなかったから」という可能性もあります。価値基準に満たない理由はその人の高い芸術的価値観にある場合もあるし、単純に好き嫌い、合う合わないの問題の場合もあります。ですが、この記事では芸術作品の芸術的価値の高さ低さや個人の適合について言及する記事ではないので、基準値についての話題は意図的に避けています。

芸術を楽しもう

じゃあそのコツって何なの、前置きは良いから早く教えてよねということになります。お正月に2019年こそは前置きは早くしよう少なくともとよのていねいではさらっと結論が得られる記事を書くように心がけようと思っていたはずなのに、気がつけばもう2019年も師走を迎えました。今年も借金ばかりが増えて前進した感じがしません。本当にこんなんでいいいのでしょうか。

えーっと話がそれました。借金の話でしたね。違います。芸術の話でしたね。

私なりの芸術を楽しむコツをお伝えします。
いろんな記事で再三書いているのですが、それは問いかけを楽しむことです。
芸術作品には必ず、いくつかの問いかけが設定されています。「なぜ?何?どうして?だれ?どこ?いつ?」作品によってはあらかじめ答えが用意されているかも知れませんし、答えは用意されていない作品も存在します。確実に言えることは、どの作品も問いかけだけは絶対に設定されています。それも、なぞなぞのような外部からの問いではなくて、作品を見たあなた自身から、内側から生まれてくる問いかけです。これを芸術作品を通じて心が動くと私は表現します。
はじめのうちは自分の内部から生まれてくる問いかけに気づかなくて、モヤモヤするかもしれません。この状態が「芸術を見に行ったけどよくわからなくてモヤモヤだけが残った」状態です。芸術によって心が動かされたんだけど、その動かされた心に気づいて無くてモヤモヤしてる状態です。まずはこのモヤモヤをしっかり咀嚼して、自分の中から生まれてくる問いかけの種をみつけてみてください。この段階を楽しめるようになってきたら、できるだけいろんな種類の芸術鑑賞を試みることをオススメします。ものの見方や捉え方が今までと少し違ってきた自分に気づくはずです。

そう、答えだけ用意されたものが多い中、芸術作品は問いかけを用意しています。

用意された答えが多い電車広告のなか、のせでんだけが問いかけを用意してくれている(単に広告が少ないだけという説もある)

これもいろんなところに書いていますが、えらそうに書いていますが私自身、芸術について体系的に学んだことも何もない素人のひとつの意見ですので、楽しみ方について一笑に付する方も多いと思います。ですがその方はご自身で楽しみ方を知ってらっしゃる方ということになりますのでとても良いことだと思います。それに加えて、私の楽しみ方を書いておけば芸術の楽しみ方を得られない方の何かの参考にもしかしたらなるかもしれません。これも良いことだと思います。つまり私が書くことによって笑われても笑われなかったとしてもどちらにしても良いことのほうが多いと思いますので、恥を承知であえて書いてる部分も多々あります。素人の一つの意見だと思って読んで頂ければ幸いです。

のせでんアートライン、ここがよかった

地域の人間が地域の人間同士つながれる

表題のとおりです。これに尽きます。
地域おこし、町おこし、芸術表現とは、などなどいろんな命題を掲げて開催されているんだと思うんです。のせでんアートライン。
ですが、それは主催者側の都合です。もちろんもちろん、主催者がお金出して責任もって主催してるんだから、主催者の都合が乗っかってて悪い理由は一切ありません。ですがですが、開催される地域で暮らす人間としては、まずは暮らしている人間同士が繋がることに、とても意味を感じます。そしてのせでんアートラインは暮らしている地域の人間同士が繋がるイベントでした。私の中での満足度の高さの理由はこれに尽きます。

前段にも書いたとおり、私は仕事として外から訪れる方々のインフォメーション業務も請け負っていました。これがものすごく意義があって意味のあることなのは言うまでもありません。ですがこの記事ではあえて言及を避けます。言う必要が無いくらい大事なことだからです。

そのかわり、中の人が、住む人が、暮らす人が、こんなにもつながれるんだということに芸術祭の意義や可能性をものすごく感じました。
私は不勉強ながらほかの地域の芸術祭を知らないのですが、ほかも似たようなものなのでしょうか。それとものせでんアートラインが特別なのでしょうか。後者だとしたら、とてもすごいことだと思います。とても誇らしいです。前者だとしてもそれは芸術祭が素晴らしいと言うことにほかならないので、いずれにしてもどんどんやったほうがいいと思います。芸術祭。楽しいので。

たぶんこれは私が積極的に参加したからなのでしょうから、参加した度合いによって人それぞれ意見は違うと思いますが、開催中はとにかく人との繋がりを多く感じました。

普段町のことにあんまり興味の無い人でも、町の資料を私に貸してくれたり、そもそも私特に郷土史を研究してるわけでは無いんですが、たまたま近所の芸術祭で郷土資料集まってきてる場所の鍵の開け閉めしてるだけの私のところにまで資料が集まるんです。これはすごいことです。
ほかにもただすれ違うだけなら顔見知りにさえならないご近所さんと顔見知りになれたのもこの芸術祭があればこそです。最終日の前日、アートプロジェクト参加のご近所の皆さんと打ち上げパーティしたのですが、どんな気心の知れた仲間との集まりよりも妙な安心感があって、これが地域の力だ芸術の力だと感心しました。

なんていうか、人によっては住んでるところのご近所さんとべったり付き合いが深くなるのはイヤ、ほどよい距離感を保ちたいと思う人も多いと思いますしそれはものすごく同意なのですが、この芸術祭に参加しないとわからない、それこそ芸術作品がつなぐちょうど良い距離感は知らない人が多いのもったいないなと思うくらい私にとって心地よかったのでぜひ人にも勧めていきたいです。

関連グッズも人気でした

こんな作品、こんな楽しみ

「星見るひとたちと出会う旅」

まずはアーティストの渡部睦子さんとコミュニケーションディレクターの川那辺香乃さんに最大限のお礼を述べさせて頂きたいです。

作品PRの手助けに少しでもなればと出演を提案させていただいたのですが、結果的に我々のメディアに全面的に協力いただくことになって、とてもありがとうございました。
よく考えたらそんなに再生回数伸びないメディアなのに、宣伝効果あんまりないですよね。それなのにお忙しいなかわざわざ来て出演いただいて、本当に本当にありがとうございます。

「道しるべ」という軸をもとにちりばめられたキーワード、「子供達と編んだ」「漁師に教えてもらった」「星をたよりに」「海と山は繋がってる」などなど、どこかこう暖かい目線の向こうにある作品を紹介いただきました。真っ暗闇で取り残されたとき、何を頼りに避難すれば良いのか、考えるきっかけを教えてもらったような気がしました。

「なべたんの極力直そう around のせでん」

インフォメーションしていて、外からやってきた方々はほとんどの方が「とにかく探すのが大変だった」と口をそろえてその難易度を語っていたのがこの作品でした。案内役としては申し訳ない気持ちになりますが、なぜかみなさんこの「みつけにくさ」を楽しんでる風なのが印象的でした。いや、でもほんとお疲れ様でした。が、地元民にとってはほとんど毎日通る場所ばかり。ぜんぜん余裕で楽しめます。

すでに持ちネタになってる大阪平野

壊れた状態、喪失した状態のほうを日常化してしまっていると、補修した状態の方が異物感を感じます。「ここ、壊れてたよ」と作者が気づかせることが、受け止め手である私にとってのこのアートの起点になりました。データーは公開されていて誰でもいつでも直せる状態にある、というのも面白い仕組みです。なぜなら、その状態でもし今後壊れたとしても、誰も直さないだろうと言うことを作者は知っていると思うからです。行き届いてるな、と感じました。

「UBASTE」

山道で突然で会うドローイング

これは私が鑑賞したアートラインの中でもわかりやすい芸術体験です。もしくは人によっては最も難解と思うかも知れません。

なにもない山道を歩いていると突然に出会う壁画。壁画が突然書いてるんです。こんなにわかりやすい芸術体験ってないというくらい、わかりやすいシナリオです。ですが人によっては難しいかもしれません。なぜなら、区別がつかないと山道に突然描かれてあるのは芸術作品じゃ無くて落書きかも知れないと迷うからです。

土地の所有者の許可を得たか得てないかなど、芸術作品と落書きとの区別は定義できるかも知れませんが、鑑賞者からしてみるとそういった前知識が無い場合、よっぽど心の目を開いていないと芸術作品と落書きと区別がつかないかもしれません。そしてそういう意味ではこの作品は難解な部類に入るのかもしれません。

ですが、よく見ると心を動かされる何かが見えるはずです。知らない人が見ても、ただの落書きとは絶対に思えない、パワーが感じられます。このパワーの源は作者のイマジネーションの爆発力なんだろうと思いますが、それこそがこの作品の魅力です。

近くに住むわれわれだからこそ、絶対に鑑賞しに行きたい作品のひとつだと思います。ぜひ機会があれば鑑賞をお勧めします。

作者ディエゴ・テオのムックやトートバッグもお気に入り

「もう一度、グリグリと強い線を引く」

これもわかりやすいオブザわかりやすい作品です。ロードオブザリングの、ロードのところとリングのところをわかりやすいに置き換えて、オブザでつないだらわかりやすいオブザわかりやすいになります。なんしか200年もつとも一説には1000年もつとも言われている岡さんのコンクリートで作った巨大な柱を公園に運んだんです。この意味のわからなさ。いえ、褒めてます。作品の意味はわかるんです。凄すぎて、すごさの意味がわからんことになってるんです。すごすぎて。

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のせでんアートラインのプレイベントに参加してきました◎ コンクリートを練って、長いオブジェを作ったものを東ときわ台の公園付近に設置するというもの。 今回はそのコンクリートの型枠をデザイン。 好きなものを持ち寄って、わいわいと型枠に置いていきました。 わたしはとにかく意味わからんやつを!と洗面所から歯間ブラシとコンタクトケースを持ち込みました! それぞれの参加者の持ち込んだものがとてもおもしろくて、アートってこんなに楽しいんだ!と実感した一日でした◎ 通常のコンクリートの寿命よりも長く、200年は持つと言われている岡さんのコンクリート。 200年後に見たときに、こんなものがあったんだ!とか未来へのメッセージになればいいな。(コンタクトとかない時代になってるのかな?) 次回は10/5にコンクリートを手練りするワークショップを開催するとか。 10/26には完成した2.2トンのコンクリートを100名で担いで運ぶそう。 どうなるか未知だからこそ、とてもワクワク。 みんなで作り上げたオブジェの完成が楽しみ。 #のせでんアートライン #岡啓輔 #蟻鱒鳶ル #大阪府 #豊能町 #東ときわ台 #もう一度グリグリと強い線を引く #アート #のせでん沿線に住もう #のせでん #ときわ台 #トヨノノレポーター #豊能ライフ

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まあもうこれは写真を見てもらうしかないじゃろう。

こんだけ苦労して持ってきたのに、展示してある状態はすごい自然。まるで最初からそこにあった感。イースター島のモアイでさえももう少し運んだ謎あるのに、なんかもう200年後の人が最初からここで作ったとか言いそうなの想像できてしまう。伝承を絶やしてはならない。

常識ではちょっと考えられない熱量。これがこの作品の力強さを彩っています。

「NEW TOWN MY HOME THEATER」

「ニュータウンの古いホームビデオを集めています。ホームビデオをお持ちでしたらぜひお借りしたい」
地域住民として協力を求められたとき、いくつかの理由で個人的にひっかかることがありました。ひとつは私はニュータウンの出身ではないこと。でもこれはアートコンセプト的にも問題ではなかったそうです。ですがもうひとつの理由として、私自身が失ったものが映ってあるホームビデオを、私自身がここ十数年怖くて鑑賞することが出来なかったことです。

もともと父親は海外で仕事をしていたため、一年のほとんどを家族と過ごすことが出来ず、だから一年のうち数週間しか会えない家族との時間をホームビデオに撮ることをとても大切にしていました。それは父だけで無く私たち家族全員が大切にしていた思い出です。
その父が亡くなったとき、父が大切にしていたホームビデオを私が受け継ぎましたが、父の死を正面から受け止めるにはまだ未熟すぎた私はそのビデオを見ることが怖くて出来ませんでした。

そこから十数年が過ぎ、父方の祖父母を看取り母方の祖父母を看取りそしてついに母も看取ってさらに数年を迎えた今、大切な人の死を私なりに受け止めることが出来るようになり父の残したホームビデオはもうそんなに特別につらいものではなくなったのかもしれません。たぶん、普通に流してみて、普通に楽しかった頃の思い出がよみがえるだけの私の宝物なだけです。

かもしれません、と書いたのは、まだ見てなかったからです。見ても特別何か感情がわき上がることはないと知ってはいるのですが、なかなか見る機会が無くてそのまましまい込んでいたホームビデオ。それがマイホームビデオでした。
今回アートラインの深澤氏の作品作りに役立つならそれがいいし、もし使われないとしてもそれでもいい、そう思って古い衣装ケースの奥の奥にしまいこんでいたビデオカセットを監督である深澤氏に託しました。どれだけの量を取捨選択したか、結果として使われなかった量の差が、作品の質を高めることもあることを願ったからです。

「たくさん撮られたんですね」
作品作りで忙しい中、ホームビデオを渡した深澤氏は古くなって切れたビデオテープを分解して直してくださり、5GBもあるデータを吸い出して渡してくださいました。そこには、家族とリラックスした時間を過ごす20代の若い父親の姿がありました。畳敷きの古民家である我が家に座った父親の膝元でふざける我々兄弟を見る目のやさしさ、たびたび交わす母親との愛情あふれる視線。剣道の試合。亥ノ子。相撲甚句。学習発表会。たまにしか会えない父親が海外に持って行って繰り返し繰り返し再生してすり切れるほど大切にしていた家族との物語がそこにはありました。手を伸ばせば届きそうな、まるでいつもそこにあったような、幸せな時間。もう地球上のどこにもない時間だからこそ、意味のある映像を私はふたたび見ることが出来ました。

この映像は作品には使われませんでした。今後このアートラインの映像作品が何かの機会でほかでも上映されようとも、これは私だけのマイホームシアターの物語です。

私がのせでんアートラインに関わって良かったと心から感じた理由はここにあります。関わったからこそ生まれた特別なストーリー。芸術家と地元民、芸術と地域との関わりがあるからこそ生まれたものです。どんな形であっても、普段から人に寄り添ってないと絶対にできない芸術祭だと思います。
こんな素晴らしい体験を与えてくださった芸術祭と地域に心からありがとうと言いたいです。願わくば、この記事をみたどこかの誰かに次の火が灯ることを願って。

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この時間になるといつも近所から犬の遠吠えが聞こえてくる。悲しみを置き去りにできなかった男が歌う歌声のようなその遠吠えは、まるで今日という日が去ることを惜しんでいるかのように胸に響いてくる。 いつかくる終わりはこんなにも美しい。 何から話せばいいだろう? 映画が作られて大盛況のうちに上映が済みそしてみんな去っていく。 関わった全ての方の達者を祈り成功を祝いそしてほんの少しだけ自分自身も労う。 そういうのがすばらしく良くて、閉じた世界に向けてまた再び自分を開け放つ。 こんなときはやっぱりマムさんコーヒー。 #マムさんコーヒー

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