とよのていねいという暮らし方に共感してくださった方々と、万博を通じて全国に、そして世界の人たちと、この景色がみたかった。
2025年は万博とともに駆け抜けた一年でした。
この記事を興味を持って読んでくださっている方も含めて、ここに書ききれていない全ての方々に感謝申し上げます。
なぜ万博だったのか
個人的な理由になる。
私が子供の頃、万博というとつくば万博が開催されていて盛り上がっていた。
今の時代では想像しにくいかもしれないが、当時はマスメディアが世界のほとんど全てに等しかった。
子供だった私にとって、テレビや雑誌で盛り上げられる万博は、現実というよりも「憧れそのもの」だったから。
一方で、四国の奥地にある田舎に住んでいた子供の私はというと、最先端の万博どころか3階建て以上のビルさえもみたことがない。そもそもみかん畑と漁船以外のテレビに映る人工物は別の世界や別の宇宙の出来事と同じ。そのくらい世間と離れた田舎で暮らしていた私たち田舎の子供にとって、テレビの向こうのどこかで盛り上がっている万博なんていう催し物は、ウルトラマンとか水戸黄門を見せられているのと同じくらい別世界での出来事だった。
だから、子供向け雑誌で「キミはもう行ったか!?人気パビリオン特集!」なんて企画を見るたびに悔しい思いをした。テレビの向こうだけの話だったら関係ないものの、同世代の他の子達は実際に楽しんでいることが、住んでる場所が違うだけで自分にはその資格がないことをしっかりと自覚させられて、楽しいはずの雑誌を読み進める手を止めたままうつむいてしまうのだった。
今さら万博なんてやって意味があるのか、といった批判的な意見が多かったのを覚えている。
けれどそれは、万博を否定するためというよりも、「万博とは何か」「なぜ今それをやるのか」という意義を、社会全体が真剣に問い直している時間だったのだと思う。
だからこそ私は、その問いに対して、子供や若者達の側から万博を盛り上げるという形で応えたいと思った。
いくら同じ大阪で開催されるとはいえ、豊能町という立地は万博の開催地からは遠い。万博について批判的な大人が多かっただけに、本当に楽しみにしている子供達の中で、豊能町に住んでいるから自分は関係ないのかもしれない、そんなふうに諦めてしまう子供を無くしたかった。万博を楽しみにしている子供達に対して、楽しみなのは悪いことじゃないよ!今、大人達が批判的になっているのは、万博の意義を必死に考えているって事だから、きみが楽しみにしているその好奇心はすごく素敵な事だよ!そういうメッセージを届けたかった。万博に行きたくても行けなかった、過去の子供の頃の自分を含めて。
何がなんでもとよのていねいは万博に関わるぞ
そんな決意を胸に、どうにかしてとよのていねいを万博に関わる位置に持っていきたい。豊能町の子供を万博に連れていくのは、過去も含めていきたくても行けなかった日本中の子供達を万博に連れていく道を作ることと同じだ。
そうと決まれば、どうにかして万博を関わりたい。
でもどうしたらいい?
万博に関わりたいと言い続けていれば、本当に関われるようになるのだろうか。
実際のところ、自分は個人クリエイターだった頃、その戦略で仕事を得てきた経験がある。
「自分はこれが好きだから、これに関わる仕事がしたい」と言い続けていれば、いつか必ず関われる機会が訪れることを知っていた。
それは、引き寄せの法則のような神秘的な話ではない。
単に、ネット時代において継続的に情報発信をしていれば、いつか必ず担当者の目に留まるからである。
そもそも、良いクリエイティブとは情熱の交換作業である。
仕事に対する情熱が相手に伝われば、それだけで最初のハードルを一つ越えているのと同義になる。
このように、「関わりたい」と言い続けることは、少しずつハードルを越えていくための具体的かつ有効な手段の一つである。
自分はこれまで、その方法を意識的に実践してきた。
ただ、万博に限っては普段自分が行なっている仕事とあまりにも違いすぎるのでどこにどうアプローチしていいものかもわからず、手をこまねいていた。
万博酒場とdemo!expo
突破口となったのが、demo!expoが主催するEXPO酒場というイベント(イベントであり団体であり)。
どういう団体のどういう取り組みか、詳しく知りたい方はぜひリンク先の公式サイトを見ていただくとして、私が今ここでかいつまんで説明するとしたら「でも、やろう」という精神で万博を盛り上げていこうという取り組みだ。
会を知ったのは偶然でもあり必然でもあった。旧知の間柄である長井さんのFacebookで、EXPO酒場のチケットがあと2名と残りわずかなんだけど誰か来る人いませんか〜と飛びかけていたのが偶然私の目に止まったからだ。
考えるより先に、メッセージを送って申し込んだ。かくして、EXPO酒場の入場の残り2名の枠に入ることができたのである。
初期のEXPO酒場は、良い意味でも悪い意味でも、万博を盛り上げていこうという目的意識はあるんだけど、具体的に何をどう、動いていけばいいのか誰もはっきりしていない状態だった。
私にとっても良い方向に働いたのが、私自身がどの立場で何をEXPO酒場でやっていけばいいかわからなかったので、結果的にexpo酒場の人たちと一緒になって考えていける機会をいただけたことである。
参加したEXPO酒場京都店は初期の頃のEXPO酒場らしくクリエイター交流会色が強めで、私自身もいちクリエイターの立場として立った時には文化事業を引っ張ればいいのかなと思ったし、のせでんアートラインなどの芸術祭を手伝った経験も活かせそうだなと感じた。
一方で、地域活性化事業を背負った身として考えた時に、田舎の町のおじさんが田舎の若者達を連れて参加して、何か手伝えることがあるのかな?と当時心配になったのも事実だった。
京都店で知り合ったハモニズムの小島さんが親切にしてくださり、理事の今村さんを紹介いただいたりするなどして参加の垣根を下げてくださった。とりあえずその場では「チームexpo(現在は終了)に登録しましょう!」ということになった。この辺、まだお互いをよく分かってなくて、EXPO酒場を開催しましょう!とdemo!expo側も勧めにくかったんだと思う。んーまずはできることから始めれば結構なんで、そのためのチームexpoの登録なんで、という感じで、早速帰ってから登録した。
チームexpoの参加登録以外にも、まずは酒場を開催してみては、とも勧められたが、この時点では私自身が何をどこまで参加すればいいのか、わかってないところもあったし決めきれてないところもあったし、そういう私の態度を察してか、酒場の開催についてはそういう道もあるよという紹介程度に留めておいて、まずはチームexpoに登録するのがいいかもね、という流れで案内された。
若者は興味あるん?
初回参加の不安な私に対していろんな方から親切にしてもらって、チームexpoにも登録したし、そんじゃ次どうするの?ってなっても何も思い浮かばない。当たり前のことだが、自分自身に万博の記憶や経験が実体験を伴っていないため、はっきり言って万博が開催するって言われても、よく分かっていない。何をするのか、情報としてはなんとなくわかるんだけど(世界中からパビリオンが来てコンパニオンさんがいて、ロボットとか見るんだろうな、っていう感覚)、それがどう私たちに関わってくるのかが全然ピンとこない。つまり万博が開催されたとして私たちはどんな気持ちになるのだろう?生きたいと思うのだろうか?仮に行きたいと思うとして、そしてさらに仮に行ったとして、パビリオンを見てすごいと思う気持ち以上に何があるのだろう?75年万博はこれからの科学技術の発展の未来が見えただろうし、外国人を見るのも珍しい時代だったからそこらへん歩いてる外国人にサインを求めるなど活気があったと聞くが、自分たちが実際にこれから沈みゆく未来の岐路に立たされて、何を見て何を感じて、スマホで見るびっくり映像以上にどんな感情を動かされるのか、さっぱり想像がつかなかった。
ということで若いスタッフに聞いてみた。「とよのていねいが、今度は万博を応援する事業やろうと思うんだけど、興味ある?そもそも万博って知ってる?知ってはいるだろうけど、どういうものか、わかる?」と言ったようなことを。
30代のスタッフも、20代の大学生インターンも、「万博やるってことは知ってるし何となくはわかるけど、よくわからないといえばわからない。でも興味はある」という答えだった。つまり私とそんなに変わらないことがわかった。
EXPO酒場豊能店を立ち上げるまで
そうこうしているうちに、長井さんからお願いのメッセージが届いた。万博開催ちょうど何日前かにあわせたイベントやるんで、よかったら来ませんか?というもの。同時多発的に酒場を開催するみたいで、どこか行けそうなところに参加すればいいとのことで、インターン生と一緒に心斎橋店に参加することにした。
その時は、イベント主催者も忙しかったのか、遅れて参加したのもあって何も交流ができなかったが、それがきっかけで、最初の1回の参加だけで縁が切れてしまうという可能性が断ち切れた、いい機会だったと思う。
というのも、次の3回目の参加を妻にお願いした時に、理事の花岡さんに勧められて豊能店を開催することを決定したからだ。
この時にEXPO酒場の立ち位置がはっきりしていたのは幸運だった。何をどう取り組むか→EXPO酒場を開催する、これだけを決めているので、それ以外の取り組みは視野に入れなくて済むのはお互いにとってわかりやすいし、酒場を開催する=お互いに協力し合う関係を築ける、というのもシンプルでとてもわかりやすかった。
母体であるdemo!expoの理念もすごく共感できた。
「でも、やろう。」
である。
やらない理由はいくらでもある。できない理由も。「でも」
この「でも」の部分。
「呼ばれてないけど」という言葉も、私も一介のクリエイターとして末席に身を置く自分自身の心に響いた。
万博なんていう国際事業に、私が呼ばれるどころかかすりもしないのは最初からわかってたことで、いや、わかっていたことすら最初から考えもしなかったほど遠い存在だった万博という取り組みに、「呼ばれてないけど」「でも」「やろう」という言葉は、万博を楽しみにしている地域の子供や若者の期待を私が背負う覚悟を決めてくれた。
合計3回開催したEXPO酒場豊能店!
EXPO酒場の岡本さんをはじめ、内外を問わず様々な方々の伴奏支援があり豊能店は3回も開催することができた。それぞれの内容はこのサイトのどこかにリンクがあるかもしれない。書きたいことが多すぎるが、各回どういうところに考えを巡らせたり苦労したかを書き記しておきたい。
1回目吉川自治会館
記念すべき1回目は、自治会館を借りて開催することができた。EXPO酒場からも理事の花岡さんと岡本さんが来てくれて、万博開催の意義についてプレゼンしてもらうなど、まず一発目に万博イベントを豊能町でやった意義のあるものとなった。たこ焼きコラボなど楽しい企画も伴奏してくれた。
結果的にすごく良かったが、やはり開催する前は悩みの連続だった。
そもそも、万博イベントというものがわからない。万博開催まで何年も前なのに、豊能でやる意味もわからない。主催者側がわからないので、当然参加者に伝えられるかどうかも心配だった。
結局のところ、万博という文字がまだ人々に浸透してない中で、何を目的とした催しなのか、何のためにやっているのかを模索する日々だった。
2回目エマコーヒー
万博もいよいよ開催が目前に迫ってきての開催。
世界一おしゃれなカフェ、エマコーヒーにて。
この会から、とよのパビリオンと名乗るようになった。
もともと、万博の楽しさを伝えるためのイベントだったが、だから何をやっていいのか主催者側もわかりにくかったため、それならいっそパビリオンと名乗ろうと舵を切ったのがきっかけだった。
万博がどんなイベントかはっきりしない中、とよのていねいでは「オリンピックが世界の体育祭だとすれば、万博は世界の文化祭」であると位置付けた。
そこで、町で万博イベントをやるのであれば、それはみんなの持ち寄り文化祭に等しいということで、であればそれは「とよのパビリオン」と名乗ってもいいのではないかという考えから生まれた。
万博の開催期間内でもなければ開催場所ですらない。でもここはとよのパビリオンですよ。というメッセージを込めた。
そういうノリで、いろんなところでパビリオンが開催されれば、それってとっても楽しいことなのではという思いがあった。
実際に万博のパビリオンそのものや展示物の装飾を行っている乃村工藝社さんからも展示をいただいたりするなど、これはもう公式のパビリオンと勝手に名乗ってもいいのではというノリで、盛況したことがとてもありがたかった。
まだまだ世間では万博の日当たりが強い時期だったが、それでも万博に興味を持ってくださっている方々と沢山知り合うことができた。
万博に対する当時の風当たり〜批判ではなく補完へ
万博が開催した後になると、あれほどあった批判が嘘のように消えた。まるで批判なんてなかったかのように。
だからここに書かなければ、もう当時の万博に批判があったことさえ記憶からなくなるのかもしれない。それならそれでいい。それでいいというより、それがいい。
だけど、地域団体として万博を盛り上げる活動をしていた以上、万博の批判がそのまま自分たちへのいわれのない批判につながる場面も少しだけあった。
ただ、批判というのは批判として受け取ってしまえば批判でしかないのに対して、批判を補完として受け止めれば、これは大きな背中を支えてくれる頼もしい盾となる。
「万博をやる意味があるのか」→その人達が意味をしっかり考えてくれるからこそ我々は盛り上げることに注力することができる。
「今さらスマホで十分なのでは」→だからこそ「現地でしか得られない体験」を求める声でもある
「予算の無駄遣いではないのか」→だからこそ「説明責任」を社会が要求してくれている
「安全面はどうか」→安全基準を引き上げることを促してくれている。だからこそ自分はみんなが楽しめる方向を集中して考えることができる
嫌な方の固めを、こうも考えてくれていると頭があがらない。
反対意見を言う人たちが、嫌なことを言う役目を買ってくれているからこそ、私は若者や子供に対して夢を語るといういい格好ができたことは素直に感謝したい。
第3回 とよのパビリオン天狗祭り
3回目のEXPO酒場は、タイミング的に万博開催期間中だったこともあり、「パビリオン」と名乗った時のわかりやすさが段違いに良かった。
個人的に、万博成功の功績の中でも重要なのが、今後は単なる消費型イベントだけではなく知的好奇心を刺激する文化的な催しを行うときに「パビリオン」と名乗れば、当事者も参加者も「ああそう言うことか」と伝えやすく納得しやすくなったことにあると思っている。
とにかく風当たりの強い時から2年もかけて万博を盛り上げる活動を続けてきただけに、万博の盛り上がりに乗っからせてもらう機会は今しかないというタイミングで、第3回を開催することができた。
簡単にするのは難しく、余計なものを付け足すのは往々にして楽しい。楽しいことに弱い我々は、3回目のイベントにサブタイトルに今回は「天狗祭り」と付けてしまった。
付けてしまったというか、付けた。
これはこれで色々と狙いがあって、天狗というコンテンツはどの地域でも使えるので、「とよのていねいで成功したことはそのままコピペで他の町でも活性化に役立ててもらいたい」という活動のベースになっている思想によるものだ。
万博が盛り上がったのは良かったし、パビリオンという催しが今後やりやすくなったのも良かった。
だからこの先、万博と関係ない大阪以外の地方で今後も通用するイベントをどうやって作っていくの?四国にいた子供の頃の自分に、どうやって伝えるの?と自問自答した時に、全国で展開できるパッケージを開発しておくのは後々繋げていきやすいので、そのために天狗という存在を万博イベントに絡めたかった。
あとは今回意図的にクセの強いチラシデザインにしたところ、別軸でお願いしていた教育委員会からのお墨付きもいただいたことによって町内の各学校に配布することができ、結果的に祭の怪文書みたいなチラシを町内の子供達にバラまくという実績解除できたことも良かった(良かった?)。
そして人間響命祭
すごいことが起きた。
万博で一番でかい、
あのステージで。

demo!expoが万博で立ち上げた人間響命祭。
この決断やそこから先の経緯も色々な人の色々な物語があるのだが、とにかくEXPO酒場として実現したいことは一つだった。
EXPO酒場に関わってくれた人それぞれに、背負うべき地域や団体が控えている。だから、このイベントは各地の酒場を支えてくれている人たちが楽しめるものにしよう、関われるものにしよう。これを一番大事にした。
これにはデメリットが存在していて、それは関わる人が多くなるためボトムアップの各種調整が必要になることだった。
一般的にクリエイティブ方面で品質を高めようとすると、程度の問題こそあれトップダウンの方式で物事を決めていくしかない。今ここでクリエイティブ論を仕掛けるつもりは無いので、どうしても言いっぱなしになってしまうが、持論としてはとにかくそういうことになる。
それに対して、各地域の関わってくれた人を増やそうとすると、良くも悪くも、いわゆる平坦なものができやすい。品質として尖るものができにくくなるとも言える。
だから、せっかく万博に出すのに、みんな何年間も苦労して万博を盛り上げる活動してきたのに、その集大成が(言い方を選ばなければ)平凡なものになっていいのか、という葛藤は、各方面から挙がっていた。
だけど。
豊能町に限って言えば。
すごいものなんて何もないかもしれない。
平凡なものしかないかもしれないし、平凡なものしか作れないかもしれない。
万博はすごいお祭りで、世界中からすごいものが集まるから、すごい人しか関われないのかもしれない。
だとしたら、我々が何年もかけて関わってきたのは、すごくないものを誇りたかったからだった。すごくなくていいから見てもらいたかった。
子供や若者に、いきなり「未来を見ろ」と言っても、その先には壊れそうな汚れたものばかりしか見えなかったのかもしれない。それらはみんな、我々大人たちが残してしまったものだ。
我々大人も、どうにかこうにかして次に繋ごうと、大切に扱ってきたし綺麗に使ってきたつもりだけど、もう限界かもしれない。
もう動けなくなったお年寄りも、周りに頼る知り合いもどんどん減って、誰もがいつか赤ちゃんと同じ能力しかなくなる日が必ず来るのに、赤ちゃんの時にはそばにいた、守ってくれる存在はその時にはもういないのかもしれない。
では、好奇心を持って万博にやってくる世界中の人たちに、見てもらいたいもの。
周りを見渡した時に、それは特別なものなんて何もなくて、その代わりいつもそばにいる大事な人だったり、スーパーで挨拶する近所の人だったり、タメ口なのはムカつくけど登下校時にいつも手を振ってくれる悪ガキの落とし物だったり、おばあちゃんの手作り小物だったり、そんなものしか見つからなかった。
そんなものしか見つからない自分が誇らしかった。
情報交換じゃなくて情操を交換したくなった。
人間響命祭。あの日。
地域の熊手を集めて神輿にする。神輿と熊手で仲間たちを盛り上げる。
あの大舞台でこの企画を通してくれたことに本当に感謝。
万博という世界規模のイベントで、特別じゃなくても関わることができた。
この道は必ず、未来に続く。

